高校三年の夏、駅前の焼き鳥屋で親父が酔っぱらっていると、クラスメイトの女の子からメールで知らされた。
母と一緒にすぐかけつけると、なるほど、見慣れた顔の中高年が一人カウンターに突っ伏してへたばっている。
座敷に、クラスメイトの女の子がこわごわこちらを見ていた。女の子の向かいにおじさんとおばさん、隣に中学生くらいの男の子が、制服をきたまま座敷にしゃんとして座っている。こういうとこでかしこまることはないんじゃないかと思うが、賢そうな子だ。クラスで三番目か四番目に成績がよくて、運動部でもそこそこ活躍していて、宿題を忘れたらごまかしたりせずに忘れたと言いそうな顔だ。その男の子が、ありえないくらいでかい田舎の虫を見るような目でうちの親父を見ている。ごめん。
俺は女の子にお礼の言葉もそこそこに、親父を引っ張って店を出る。
店の外からみると、母親はしきりに店員と女の子の家族に頭を下げていた。おいくら?とバッグから財布を取り出すが、店員から領収証を渡されて目を丸くしていた。
肩をかして、車までつれていってやる。脇腹がやけにぷにぷにと触れてきて胸糞が悪い。後部座席に放り込み、助手席に乗って母を待っていると、呂律のまわらない舌で、
「おおまえ、受験、すうのかあ」
「うん」
大学のことは、俺は前に親父と話をした。私立にいかせるお金はとてもないということだった。公立ならアルバイトで生活費を稼ぎながら続けることはできるが、勉強と両立できそうな気はしなかった。俺は二年で卒業できる専門学校を受験することに決めて、二年間だけ援助してほしいと親父に頼んだ。まだ返事はもらってなかった。
「がんばってうしな、勉強、うー、お前はあ。あのなぁ、獅子はなぁ、子供をなぁ、突き落すんだよ。うー」
母親が運転席に乗り込んだ。
「お前、獅子は子供を突き落すんだよ。谷だよ。なんの谷か知ってるかぁ?俺は知ってるけど知らねぇー」
「ムーミン谷?」
母はとぼけて言った。
「浩二、ムーミン谷だよ。子供は突き落されるんだよお」
と、親父は苦しそうに顔中しわくちゃにしながら言った。両手をなにかを引っ掻くような形にして上下に揺らし始めた
「親はなぁ、一歩ずつ一歩ずつ、崖をよじのぼってくるって信じてるんだよ。だから落とすんだよお」
今度は袖でごしごし目をこすっている。
「でも、ムーミン谷なら登るよりそのまま居ついちゃうかもね」
と母が余計なことを言って、車を発進させた。
親父はまだうにゃうにゃ呻いているが、もう話しかけてこようとはしなかった。
さっきまでの怒りはいつのまにか消えてて、不思議とすっきりした気分だった。
見慣れた景色が右から左に過ぎ去るなか、ムーミン谷に落ちた獅子のことを考えた。スナフキンが食われたりしないといいなとか、ムーミンは食べたらおいしいのかとか。千尋の谷でなくてムーミン谷から這い上がった獅子固有の付加価値は何だろうとか。
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