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その破れた心を縫いなおしなさい

 その破れた心を縫いなおしなさいと、聖書のどこかに書いてあるらしい。ヤコブという人がそう言ったらしい。らしいというのは、私自身引用からしかこの一節を知らないからだ。その一節が引用された本を読んだのも二年も前のことである。たしか小此木啓吾の著作で、その章では主に心の痛みという表現ついて、起源を遡って考察していた。ブロークンハート、破れた心という表現は聖書においてすでに見出すことができる、といったような説明がなされていた。

 何度か、この一節を探すために聖書を読んでみた。読み始めるとそんな動機は忘れてしまうが、ともかく、それらしい一節を見つけたことはなかった。破れた心という言葉さえ見つからなかった。引用されていた本には、こういう表現がこれほど昔からあったという部分にしか触れていなかったから、どんな文脈からこの一節生まれたかわからない。ただ、そういう一節がどこかにあるということしか分からないのだ。

 この一節について、聖書を読んだり、思い出して想像をめぐらしているうちに、ぼんやりと一つの情景がみえはじめた。その情景のなかで、ヤコブは老人である。はじめて会う人には彼はいかめしく映るだろう。けれど、心根の優しい人である。独り身で、これまで妻帯したこともないが、長い間友人と、娘と同居していた。娘には、母親が、友人の娘にあたる人だが、いない。父親もいない。彼女が六つのときからかれこれ十四年、ヤコブと老人と娘は、むつまじく暮らしていた。娘は小さいころから手のかからない、よく気のきく、大人しい子供だった。けれど、一人でいることを怖がっていた。暗い部屋で寝ることや、ヤコブや自分の祖父の帰りを待つことを。その怖がりようは只事ではなかったし、十四年ずっと変わることはなかった。早くして父親と母親が亡くしたせいだろうか。二十にもなるから、いい加減に結婚しなければならない。ヤコブと友人にとって、それは心配の種であった。なにしろ二人は60を超えている。医療が現代ほど発達していないこの時代、平均寿命がはるかに短かったので、いつ死んでもおかしくない。このままでいくと、二人はいつか娘は一人にしてしまう。本当の一人になった娘の破れた心は、どうして縫い直すことができよう。そうなる前に、心の支えになる人間がそばにいなくてはいけない。老人の二人とは違って、娘と生きていくことができる人間が。そのためには結婚が最も手っ取り早い、というのが二人の共通認識で、娘にとって妥当な相手をいつも探して、今でいうお見合いみたようなことをしていた。一方の娘は、二人に仕方なく付き合っているようだった。今のところ、彼女にはヤコブと祖父だけで十分だった。一生を添い遂げる相手を見つけよう、その相手とすべて分かち合おう、という心の積極的な働きは彼女には少しもなかった。たしかに、二人の言うことは分かる。二人とも健康そのものとはいえ、何がおきてもおかしくない年齢である。結婚相手を探してくれるのも疎ましいものの、だからといってないがしろにはしなかった。とはいえ、二人の薦める相手には、ヤコブと祖父との生活で培ってきた彼女の価値観を受け入れない人間しかいなかった。みな一様に、結婚したらヤコブと祖父のいる家を出ろという。彼女にとっては、これまでさほど親しくしていなかった男と一緒に生活するだけでも精一杯の譲歩で、その上二人と離れて暮らすなど考えられないことだった。男たちはきまって、結婚は人生の一大事で、女がこれまでの生活を捨てるのは当然と考えていた。ヤコブや祖父も同じ事を娘に言っていた。けれどそのために二人と離れることは、と娘には受け入れがたかった。同じ年代の女性なら必ず持っているはずの異性への想いや、結婚への憧れといったものは娘には分からなかった。二人が娘に薦めた相手ではなかったが、一生幸せにする、とある男が娘に言ったことがある。この男は真摯に自分に向かって言ってくれている。しかし、なぜその言葉がこれほど空虚に響くのだろう。冷たい目で男を見ていた自分を、しかし、娘はさほど不思議とも思わなかった。

 とうとう、来るべきものが来てしまった。いつも通り夕食の買出しから帰ってきたヤコブが、友だったものが寝椅子に横たわっているのを見て最初に思ったのは、二人ぶんにしては食材を多く買ってしまったということだった。ヤコブは、冷えないようにそれの肩にブランケットをかけてやった。寝ていると思ったわけではなかった。寝ているだけにしては、あまりにも表情が安らかであったから。そうしてブランケットをかけてやったあと、ヤコブは、そばに座ってその顔をぼんやり眺めた。そうして、葬式のこと、今後の生活のこと、彼の孫娘のことを考えた。結局、残るのは自分のほうだった。思い起こせば、友はずいぶん前から自分の死期を知っていたかもしれない。もし、そうであるなら。ヤコブは、さまざまのことを思い起こしながら、友が安らかな死にふさわしい人間だったことに安心しながら、たびたびうなずいた。まるで、亡骸と話をしているかのように。老人として日々を送るヤコブにとって、この一時はまぎれもなく甘美だった。

 暫くして、ヤコブは、夕食に間に会うように帰ってきた娘に、祖父が無くなったことを話した。娘は、意外なほど落ち着いていた。日が変わって夜明けごろ、ヤコブと娘は、ちかくの麦畑の片隅を掘って、そこに亡骸を埋めた。ヤコブにとっては生涯の友、娘にとってはかけがえのない祖父だったものを。それは本人の希望からそうしたのだった。

「死んだら、どこへいく?」
 亡骸を埋めて家に戻ったあと、二人で麦酒を飲んで体を暖めているとき、娘がヤコブに言った。
「善人の魂は天国へのぼる。悪人の魂は地獄へおちる」
 ヤコブはそう言ったが、娘も知っていることだと分かっていた。ただ昔からの教えが口からついて出ただけだった。
「安心なさい。おじいさんは今頃天使さんに迎えられているところだよ」
「私は、死んだら天国へいける?」
「自殺したものの魂は、地獄へおちる」
 ヤコブはそういって、驚いた。娘がそんなことをしようとは考えもしなかったが、言葉は真実らしく響いた。娘は青ざめていた。


 明け方、ヤコブは荒れ果てた丘陵にのぼり、小さな岩に腰掛けていた。
 のちに三つの十字架の立つ、世界でもっとも有名な悲劇の舞台となるが、今はまだ、見晴らしのいいだけの丘である。ヤコブは毎朝日が昇るころに、家からここまで歩いてくることを日課としていた。
 ここから、日が水平にさし、ヤコブの住む村をゆっくりと照らしはじめる。夜露にぬれていた草木や屋根の群がきらきら輝き、ヤコブの老いた目に、無数の白い斑点のように映った。星空がまたたいているようだ。習慣で、北極星のある位置を目で追っていると、星空の幻影が消え、目線の先には小さな子供がひとり、家の扉にもたれて、うたたねしていた。ヤコブもよく知っている家の、子供である。こんな時間にどうして外にいるのだろう。ヤコブが疑問に思っていると、扉が開き、細い手が子供を家の中へと引っ張っていった。きっと、門限を過ぎて帰ってきたので、家に入れてもらえなかったのだろう。子供は途方にくれて、しかしどこにいくあてもないから、今まで扉の前で寝ていたのだろう。あの細い腕は子供の母親にちがいない。
 こうしたしつけをする家は村では珍しくなかったが、ヤコブは、子供に罰を与えることを好まなかった。子供は帰るべき場所から拒絶されたと感じたかもしれない。酔っ払いの旦那を家に上がらせないのとはわけが違う。あまりに心無い罰である。けれど、子供を引っ張っていったあの細い腕には、なにか性急な様子があった。もし、扉の前でうたた寝していた子供を焦って中に引っ張りこんだのだとしたら、今頃、母親はその勢いで子供に思い切り説教しているかもしれない。もし、そうとしたら、それは母親にとっても罰だったわけだ。まだしも救いはあるということだ。
 ヤコブはそこから、慣れ親しんだ自分の住まいに目を向けた。娘が、はやくも食事の支度のために、瓶から水を汲んでいる。慎重に、手鍋から水をこぼさないようにしている。この水汲みは祖父の仕事であったから、慣れていないのだろう。今までも、家事のほとんどは娘がやっていたが、ヤコブも祖父も手伝えることには手を貸していたから、自然と役割が決まっていた。祖父のしていたことは、食事のための水汲み、暖炉の世話くらいであったが、それが今後はヤコブと娘の仕事になってしまった。こんなささいなことから、人が一人欠けたという事実は心にくいいるだろう。ヤコブにはすでにその覚悟があったが、娘にはなかった。ヤコブと祖父は、この日のために娘に何をしてやれたのだろう。
 祖父を埋葬した日から、ヤコブは娘とほとんど会話を交わしていなかった。ヤコブが娘に対して失望したわけではなかった。娘を想う心が痛んで、言葉さえ出てこないのではさらになかった。ただ、生きてほしい、という希望を伝えるための言葉が、喉からでかかっているとき、すんでのところで、ヤコブはその言葉を押し込めてしまうのだった。娘が本当に消えたいと願うなら、それは娘にとって生きることが苦しみにすぎないからであろう。それにヤコブ自身が責任を感じているからでもあろう。思えば、父親と母親のことについて、娘とあらたまって話したことはなかった。ヤコブも祖父も、また娘も、あえて苦しむために過去を振り返ろうとは思わなかった。しかしそのために、今の娘の苦しみを、ヤコブと祖父は共有できていなかったかもしれない。言葉を押し込めてしまう原因はまだ見出せるが、とにかく、ヤコブは娘にたいして言うことがあるはずであり、また、そうでなければならないはずであった。

 ふと、ある一軒の家の中で、老婆がほつれた服を縫いなおしているのが、ヤコブの目に入った。頭をちいさく揺らしながら、ゆっくりと両手を動かしている。縫っているのは、赤ん坊の服であった。この家の子供はすでに畑仕事に出ているから、その子が赤ん坊だったころは少なくとも五年は前である。この村で最近子供が生まれたということはなく、なぜそれを縫いなおしているのか分からないが、なにかの拍子で服を見つけ、そこにあったほつれを何となく直しているだけかもしれない。その様子は眠たげであり、縫っている服を慈しむようでもある。それを見たとき、ヤコブは、これでいいのだと思った。
思い出を語ろう。自分にとって楽しかったこと、苦しかったことを、残さず娘に伝えよう。祖父がなくなったからこそ言えることや、今まで思い出すのさえ辛くて言えなかったことまで。祈ろう。娘がこれから生きていくために。主のご加護がありますように。その苦労も悲しみも過ぎ去りますようにと。
 娘が、朝食を机に並べはじめている。祖父がまだいたころは、娘はこんなとき、丘にいるヤコブに向かって手を振っていたものだった。けれど今はそうするほどの元気はないようで、ヤコブのほうをじっと見るだけであった。日はまだ低いところにあったため、光は娘の影を牧草地のほうまで、うすく長く伸ばした。影が長いほど、娘は死のほうに近いようであった。この瞬間、ヤコブには、この淡い生命のことがいいようもないほどいとおしく感じられた。
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