夏目漱石 彼岸過迄
どうして今になって漱石なのかと、自分の事ながら改めて考えてみると不思議だ。
さすがに誰もが知っている文豪だから、読む機会はいくらでもあった。高校の頃にも読んだ。訳があって修善寺の温泉旅館で働いていたときも、漱石の馴染みの地だからということで、修善寺大患のエピソードが載っている思い出すことなどや、書簡集も読んでいた。
しかし今ほど読者として作家に向ける親しい気持ちは無かった。
もし今のこの心境を高校のころに持っていけたなら、文系の学科を受験して、近代文学の論文を二つ三つ書いて、研究のほうに進んでいたかもしれないなどと、つまらないことを考えてしまう。
先日書いた夏目漱石、小説のかたちは自分が書いた感想文のなかでは出来がいいほうだが、随筆としての文章の勢いも構成も、批評として着眼点や考察の緻密さも、全然なっていない。批評を書くつもりはないから随筆として文章に力があればいいのだが、そのためにはどうすればいいか。とりあえず、彼岸過迄を読み返しながら、どういう切り口でいくか考えておこう。
彼岸過迄は好きだ。この小説にはなぜだか妙に惹かれる。